郵便の中に隠れた8つの話

DC·69 Deep Cuts
イギリスの赤いポストは、もとは緑だった

イギリスの赤いポストは、もとは緑だった

街角に立つ郵便柱をイギリスに持ち込んだのは、郵便局に勤めながら外国でこの仕組みを目にした小説家のアンソニー・トロロープだった。最初の一本は1852年、ジャージー島に立った。初期のポストは地味なブロンズグリーンで、人はそれにぶつかったり、見つけられなかったりした。1874年からは今おなじみの鮮やかな赤に塗り替えられ、その切り替えには10年ほどかかった。
かつて手紙の料金を払うのは、受け取る側だった

かつて手紙の料金を払うのは、受け取る側だった

1840年より前、手紙の料金は受け取る側の負担で、しかも運ばれた距離と紙の枚数の両方で値が上がった。人々は玄関先で手紙の受け取りを拒んで料金を逃れ、ページを横に回して自分の文字の上に重ね書きする「クロスライティング」で、一枚により多くを詰め込んだ。ローランド・ヒルの改革がこれを正した。料金は一律1ペニー、送る側が前払いする方式だ。
最初の切手は、はさみで切り分けていた

最初の切手は、はさみで切り分けていた

接着式の切手が登場した当初は、隙間のない一枚刷りで印刷されていたため、係員がはさみで一枚ずつ切り離すしかなく、縁はぎざぎざになった。アイルランド人のヘンリー・アーチャーは、切手と切手のあいだに小さな穴をきれいに並べて打ち抜き、すっと切り離せるようにする機械の開発に何年も費やした。イギリスは1854年に目打ち入りの切手を人々の手に届け、あのちぎれた縁の切手はそれ以来ずっと同じ姿のままだ。
消印は、切手を台無しにするために存在する

消印は、切手を台無しにするために存在する

消印はただの日付印ではない。その本当の役目は切手を汚して、誰かが剥がして再利用できないようにすることだ。ペニー・ブラック用の最初の公式消印は赤インクのマルタ十字だったが、赤は簡単に拭き取れてしまうため、郵便は消えない黒インクの印に切り替えた。こうした全体を塗りつぶす重たい消印は、killers(殺し屋)とまで呼ばれた。
ある条約が、地球まるごとを一つの郵便受けにした

ある条約が、地球まるごとを一つの郵便受けにした

1874年より前、いくつもの国境をまたぐ手紙には通過する国ごとの切手が必要で、郵便事業者どうしのこみ入った勘定で精算されていた。ベルン条約は世界の郵便制度を一つの郵便圏にまとめ上げ、いまや手紙は一国の切手だけでどこへでも届く。これを成り立たせる巧みな仕掛けはこうだ。各国は売った郵便料金をそのまま自分のものとし、面倒な帳尻合わせを省くのである。
ロンドンは、手紙のためだけに無人鉄道を走らせていた

ロンドンは、手紙のためだけに無人鉄道を走らせていた

街の渋滞した通りを避けるため、郵便局はロンンの地下深くに自前の鉄道を掘った。1927年から2003年まで、小さな無人の電車が手紙を運び、地下およそ21メートルの狭いトンネルを抜けて、仕分け局のあいだの約10キロを走った。乗客もなく、運転士もなく、ただ手紙の袋が、みんなの足の下の闇の中をうなりを上げて、76年間走り続けた。
かつて巨大な地上の矢印が、夜の郵便を導いていた

かつて巨大な地上の矢印が、夜の郵便を導いていた

1920年代、無線航法がまだなかった頃、アメリカは航空郵便のパイロットを導くため、巨大なコンクリートの矢印を国じゅうに点々と打ち込んだ。それぞれの矢印は長さおよそ15〜21メートル、鮮やかな黄色に塗られ、約16キロおきに立つ次の灯火付き標識塔を指し示した。おかげで飛行士は日が暮れても矢印から矢印へとたどっていけた。そのコンクリートの矢印の多くは、今も大地に横たわったままだ。
ドアの郵便受けの口は、安い切手の副産物だ

ドアの郵便受けの口は、安い切手の副産物だ

玄関ドアに切り込まれた郵便受けの口が意味をなすのは、送り主がすでに料金を払い終えてからのことだ。古い仕組みでは、配達人は戸をたたき、その場で料金を受け取るために待たねばならなかった。前払いの1ペニー郵便がそれを一掃し、配達人を手紙の山に埋もれさせた。そこで1849年、イギリスの郵便局は各家庭にドアへ郵便口を設けるよう勧め始め、10年のうちにドアの郵便受けはどこにでもあるものになった。
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