この昆虫は繁殖のために大洋を越える ウスバキトンボは、あらゆる昆虫の中で最も長い渡りをする小さなトンボだ。世代を重ねて続く、年間およそ18,000キロメートルの環状の旅で、その中にはインドからインド洋の大海原を越えて東アフリカまで一気に渡る区間も含まれる。高高度のモンスーンの風に乗り、一匹のトンボが2,500キロを超える何もない海を、自分の体長の5,000万倍以上もの距離を、降り立つ場所もなく越えていくこともある。
たった1個の脳細胞が1つの標的に狙いを定める 群れの中で狩りをするとき、トンボは1匹の獲物だけに狙いを定め、他のすべてを無視しなければならない。これはかつて大きな脳が必要だと考えられていた選択的注意の妙技だ。研究者たちは、選んだ1つの標的に「ロックオン」し、周囲の気を散らす動きをすべて抑え込み、追跡の途中で標的を切り替えることさえできる、CSTMD1と呼ばれるたった1個のニューロンを発見した。注意という心のスポットライトが、たった1個の細胞の上で働いているのだ。
20回のうち19回、獲物を仕留める ライオンは仕留める数よりはるかに多くの狩りに失敗し、たいていの捕食者が獲物を捕らえるのはおそらく4回に1回ほどだ。トンボは試みのおよそ95パーセントで成功し、標的が「今いる場所」ではなく「これから来る場所」を計算して、飛ぶ昆虫を空中で迎え撃つ。あまりに能力が高く、実験では片方の翅をまるごと失ったトンボでさえ、なお獲物を仕留めることができた。
幼虫は尻で呼吸し、噴射して進む 空を飛ぶよりずっと前、トンボは一生の大半を水中でヤゴとして過ごし、直腸の内側を覆うえらで呼吸する。水を吸い込んで勢いよく吐き出すことで、ヤゴは自らを前へと噴射もする。危険から逃げたり獲物に迫ったりするためのジェット推進だ。これほどの仕方で呼吸し、泳ぐ昆虫はほかにいない。
幼虫は折りたたみ式の顎を射出して食べる トンボのヤゴは体内に備わった銛で狩りをする。ふだんは仮面のように顔の下に折りたたまれた、下唇と呼ばれる蝶番式の器官だ。体内の体液圧が急激に高まることで前方へと射出され、わずか20〜60ミリ秒という目では追えない速さで獲物を捕らえ、獲物を口元へと折りたたんで戻す。
最大30の色チャンネルで見ているかもしれない 人間の色覚は、赤・緑・青に対応する3種類の光を感じるオプシンというタンパク質で成り立っている。トンボはこれまで研究されたどの動物よりもはるかに多い、15から33種類ものオプシン遺伝子を持つことがわかっており、目の上半分と下半分で、また幼虫と成虫で異なる組み合わせが働いている。頭上の空も足下の水も、それぞれ専用の色彩で見られているのだ。
祖先は翼開長60センチを超えた およそ2億8500万年前、空にはタカほどの大きさのトンボの仲間がいた。知られている限り史上最大の昆虫メガネウロプシスは、翅の端から端までおよそ71センチメートルあった。これほど大きくなれたのは、当時の空気が今日の21パーセントに対して30〜35パーセントもの酸素を含んでいたからだ。肺ではなく体壁の細い管で呼吸する昆虫は、空気がそれほど豊かなときにしか巨大になれない。
水中で何年も、空ではほんの数週間 きらめく空飛ぶ成虫は、短い最終章にすぎない。トンボは種によって数か月から5年から8年もの間、水生のヤゴとして生き、その間ずっと水中で狩りをする。ついに這い出して殻を破り、飛び立っても、成虫に残された命はわずか数週間ということが多い。その一生の大半は、すでに水面の下で費やされているのだ。