糸と織機と布に隠された八つのこと。

DC·40 Deep Cuts
最初のコンピューターコードが織り上げたのは、数字ではなく花だった

最初のコンピューターコードが織り上げたのは、数字ではなく花だった

1804年、ジョゼフ=マリー・ジャカールは、穴をあけた硬いカードを鎖のようにつないで織機の上に吊るした。穴は杼が通るたびにどの経糸を持ち上げるかを決め、熟練していない職人でも肖像や錦を自動で織れるようになった。チャールズ・バベッジはこの穿孔カードを解析機関に取り入れ、エイダ・ラブレスは「織機が花や葉を織るように、それは代数の模様を織る」と記した。穿孔カードは1970年代までコンピューターを動かし続けた——織機から生まれたのだ。
かつて世界中の糸は、回る一本の棒からぶら下がっていた

かつて世界中の糸は、回る一本の棒からぶら下がっていた

糸車が現れたのはほんの千年ほど前のこと——それ以前、地球上のあらゆる糸は落錘式の紡錘でつくられていた。粘土や石の円盤で重みをつけた棒だ。回して落とせば、重力と勢いがほぐれた繊維をより合わせて糸にし、紡ぎ手は手で繊維を送り込んでいく。この重しの円盤は12,000年前の遺跡からも出土する。帆も、トーガも、つづれ織りも、古代世界のあらゆる衣は、落ちていく一本の棒から、一筋ずつ生まれた。
最古の布は、そもそも織られてなどいなかった

最古の布は、そもそも織られてなどいなかった

フェルトは織りよりも編みよりも古い——織機も糸もいらない。羊毛の繊維は、顕微鏡でしか見えない鱗が幾重にも重なって覆っている。そこに熱と水と圧力を加えると鱗が立ち上がり、互いにずれて噛み合い、固く絡み合う。こうしてほぐれた羊毛は、二度とほどけない一枚の密な布へと変わる。紀元前1800年ごろのフェルトの帽子が見つかっている。これほど単純な布はない——ただの羊毛が、永遠に絡まり合うよう仕向けられただけのものだ。
繭ひとつは、長さ一キロメートルの一本の糸

繭ひとつは、長さ一キロメートルの一本の糸

カイコはもつれた糸を吐くのではない。一本の途切れない繊維だけで繭をつくる。何日もかけて頭を8の字に振りながら、一度も切れることなくおよそ300〜900メートルにおよぶ糸を紡ぎ出すのだ。絹を採るには、閉じた繭を熱湯に落として天然の糊をやわらげ、糸口を見つけ、全体を一本の連続した糸としてほどいていく。いくつもの繭をまとめて繰るのは、一本の繊維がクモの糸より細いからだ。
ベルベットは、二枚の布を一緒に織って、切り分けたもの

ベルベットは、二枚の布を一緒に織って、切り分けたもの

ベルベットの起毛した表面は、切られた糸端が一面に立ち並ぶ森だ。数ミリの間隔をあけて二枚の布を向かい合わせに同時に織り、その間を行き来する密なパイル糸でつなぐことでつくられる。次に刃が中央を走り、そのつなぎの糸を断つ——すると二層は二枚のベルベットへと分かれ、それぞれが切られたパイルで毛羽立ち、光を捉えて布に深く揺らめく艶を与える。
この模様は、織る前に糸そのものへ染め込まれている

この模様は、織る前に糸そのものへ染め込まれている

たいていの模様布は、糸をまず一色に染め、その上から織りや捺染で図柄を載せる。絣はその逆をいく。何もしていない糸を束ね、ところどころをきつく縛ってから染料に浸すと、縛った部分は色がつかない。ほどいて織機に張り、あらかじめ染めた糸を織って、色のついた区間が並んで模様になるようにする——だからこそ、どの絣の図柄も縁がやわらかくにじんで見える。経糸にも緯糸にも染めを施す経緯絣はあまりに精緻で、いまも作るのは三か国だけだ。
古代の織機は、石を吊るして張りを保っていた

古代の織機は、石を吊るして張りを保っていた

最も古い織機は、壁に立てかけて使う竪型だった。経糸は上の桁からまっすぐ垂れ下がり、織るあいだその張りを保つために、織り手は粘土や石の重りの束を各グループの下端に結びつけた。考古学者はドーナツ形やピラミッド形のこの織機用の重りを、新石器時代のヨーロッパ、古代ギリシャ、ヴァイキングの地で何千個も掘り出す——とうに朽ち果てた織機の、唯一残されたものであることも多い。重力こそが、張りを生む機械だった。
バイユーのタペストリーは、タペストリーではない

バイユーのタペストリーは、タペストリーではない

本物のタペストリーは織機で織られ、絵柄はつくられていく布そのものに織り込まれる。バイユーのタペストリーはまったく織られていない——刺繍なのだ。無地の麻布の70メートルの帯に、ノルマン征服の場面を色とりどりの羊毛で縫い取ったもので、輪郭にはアウトラインステッチ、形を埋めるには置き糸を留める技法が使われている。この名は九世紀ものあいだ誤称であり続けてきた。厳密に言えば、バイユーの刺繍と呼ぶべきものだ。
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