この橋は生きていて、毎年強くなっていく 500年以上にわたり、インド・メガラヤのカシ族とジャインティア族は、インドゴムノキの気根を川の上へと導き、15〜25年かけてなだめ続け、歩いて渡れる橋へと編み上げてきた。鋼やコンクリートと違い、生きた根は木の成長とともに太く融合していくため、橋は朽ちるどころか歳月とともに強くなる。なかには五世紀を超えるものもあり、一度に五十人を支えられる。
百万隻の船を救ったガラスの蜂の巣 1822年、あるフランスの物理学者が、灯台の重い一枚レンズを、蜂の巣の形に積み上げた同心円状のガラスプリズムに置き換えた。それぞれの輪が、本来逃げていくはずの散乱光を一本の水平な光束へと曲げ戻すため、小さな炎ひとつが8〜12マイルではなく20マイル以上先から見えるようになった。わずかなガラスからこれほどの到達距離を絞り出したこの設計は、やがて「百万隻の船を救った発明」と呼ばれるようになった。
最後のインカの橋は、毎年6月に草から編み直される ペルーのアプリマック川の峡谷に、手で編まれた最後のインカの吊り橋ケスワチャカが架かっている。毎年6月、隣り合う四つの共同体が山の草を撚って太い綱にし、橋全体をおよそ三日で架け直すと、古い橋を切り落として川へ流す。同じ場所で500年以上これを繰り返してきた、200近くあったインカの草縄の橋の網のなかで唯一の生き残りだ。
空に架かるこの運河は、牛の血で封じられた ウェールズのポントカサステ水路橋は、稼働中の運河を細い鋳鉄の樋に収め、ディー川の38メートル上へと運ぶ。ナローボートはまるで宙を漂って渡っていく。1805年に開通し、今なお世界一高い運河水路橋だ。石の橋脚を凍結と融解を繰り返す冬に耐えさせるため、建設者たちは石灰モルタルに牛の血を混ぜた。その血のタンパク質が微細な気泡を閉じ込め、固まりを丈夫にするのだ。
樫の木の形に建てられた灯台 波に打ち砕かれるエディストン礁では、それ以前の灯台が二つ壊された。1750年代、ジョン・スミートンは自らの灯台を樫の幹になぞらえ、土台を広く重く、上へ向かって細くした。海が倒すのではなく、脇をすり抜けていくようにするためだ。彼は花崗岩の塊を指物のように蟻継ぎで組み合わせ、水中で固まるセメント、水硬性石灰を発明した。その塔は123年間立ち続けた。
一体で打設していたら、このダムはまだ冷め切っていない フーバーダムが抱えるコンクリートは膨大で、もし一つの塊として打設していたら、硬化の熱が引くまでおよそ125年かかり、その応力でダムは割れて崩れていたと見積もられる。そこで技師たちは、582マイルもの細い鋼管を通した柱の積み重ねとして造り上げ、まず川の水を、続いて製氷工場の水を流した。冷却は二年で終わり、隙間はグラウトで埋められて一枚の固い塊となった。
世界初の鉄の橋は、家具のように組み立てられた 1779年、世界初の本格的な鋳鉄橋がイングランドのセヴァーン川に架かったとき、それまで誰も大きな鉄の部材を接いだことがなかった。そこで作り手たちは木工から借りてきた。およそ1,700の鋳物は、樫の梁とまったく同じ技、ほぞ継ぎと蟻継ぎで組み合わさっている。優美な30メートルのアーチの継ぎ目ひとつひとつに、大工の発想が見てとれる。
この巨大な車輪は、ほとんど力を使わずに船を持ち上げる スコットランドのフォルカーク・ホイールは、世界で唯一の回転式船舶昇降機で、たった半回転で船を二つの運河のあいだ24メートル上下させる。浮かんだ船は自らの重さと同じだけの水を押しのけるため、各ゴンドラは船が乗っていてもいなくても重さが変わらず、腕は完璧に釣り合ったままだ。だから半回転に使う電力は、やかん八つ分の湯を沸かすのとほぼ同じにすぎない。