ひと針の中に隠された8つのこと

DC·232 Deep Cuts
ミシンの針は、糸を通す穴が先端のほうにある

ミシンの針は、糸を通す穴が先端のほうにある

手縫いの針は、糸を通す穴が鈍い側の端にある。ミシンが動くようになったのは、誰かがこれを逆さにしてからのことだ。鋭い先端のすぐ後ろに穴を置くことで、針は糸の輪を布の向こう側まで運べるようになり、下で待ち構えるかぎ(フック)がその輪をすくい取って縫い目を固定する。穴を端ではなく先端側に置くというこの一つの逆転こそ、1840年代以降に作られたあらゆる本縫いミシンが今も拠って立つ発想だ。
ミシンの縫い目は、布の中で組み合った2本の糸

ミシンの縫い目は、布の中で組み合った2本の糸

ミシンは1本の糸ではなく、実際には決して互いを貫かない2本の糸で縫う。上の針糸が布を貫いて下りると、その下でかぎが糸の輪をとらえ、ボビンと呼ばれる小さな糸巻きに巻かれた2本目の糸を、その輪に絡める。2本は布のちょうど真ん中で締め合い、表裏どちらから見ても同じに見える『本縫い』ができる。これは糸を一か所で切ってもほどけない。
小さな歯のついたバーが、布を針の下へ送り出す

小さな歯のついたバーが、布を針の下へ送り出す

ミシンの布は手で押すのではなく、『歩かせる』。針の下では、送り歯と呼ばれる歯のついた一連のバーが、四段階の長方形の動きを描く。針板の溝から上がって布をつかみ、ちょうどひと針分だけ後ろへ引き、それから下がって見えないまま前へ滑り、また食い込む。これらは針が上に抜けている間だけ動く。アレン・B・ウィルソンが1850年代初めにこの四運動送りを考案し、今も標準であり続けている。
ロックミシンは、布端を切り・縫い・かがるを一度にこなす

ロックミシンは、布端を切り・縫い・かがるを一度にこなす

Tシャツの縫い目の内側を見ると、針1本ではできない縫い目が見つかる。オーバーロックミシン(ロックミシン)は、一度の動作で三つの仕事をこなす。刃が切りっぱなしの端を切りそろえ、針が縫い目を縫い、ルーパーと呼ばれる曲がった腕が、ボビンをまったく使わずに、2本から4本の糸を切断面の端に投げかけて、ほつれないように包む。工場の衣類を毎分数千針で仕上げられるほど速く動く。
正しい糸を引けば、穀物袋が一気にほどける

正しい糸を引けば、穀物袋が一気にほどける

鎖縫いは、いつでも起こせる手品のようなものだ。2本の糸を組み合わせるのではなく、1本の糸が自分自身に絡んでできているため、正しい端を見つけて引くまではしっかり持ちこたえ、引いた瞬間に縫い目全体がするりとほどける。重い穀物袋や飼料袋がこれで閉じられているのはまさにそのためで、正しい糸をつかめば袋の口が一気に開く。だが間違った端をつかむと、縫い目はまったく動かない。
ミシンは、アメリカ初の特許プールを生んだ

ミシンは、アメリカ初の特許プールを生んだ

1850年代までに、競合する発明家たちはミシンを訴訟で埋め尽くしていた。『ミシン戦争』と呼ばれたこの時代には、各陣営が針や送り、縫い目をめぐって互いを訴え合った。1856年、ハウやシンガーを含む4人の大物ライバルが新しいことを試みた。主要な特許を一つの共有プールに出し合い、売れたミシン1台ごとの特許料を分け合ったのだ。これはアメリカ合衆国史上初の特許プールであり、1台あたりの実施料を約25ドルから5ドルへと引き下げた。
仕立て屋の暴徒が、最初のミシンを叩き壊した

仕立て屋の暴徒が、最初のミシンを叩き壊した

最初に実用化したミシンは、発明者自身の隣人たちのせいで危うく生き延びられないところだった。フランスの仕立て屋バルテルミー・ティモニエが、軍服を縫うために木製の鎖縫いミシンを並べた工房をパリに構えると、その機械に生計を奪われることを恐れた同業の仕立て屋たちが押し入って打ち壊した。まず1831年、そして約10年後にもう一度。彼は貧しく、ほとんど忘れられて世を去ったが、彼が作った機械はその後一世紀をはるかに超えて生き続けた。
指ぬきの小さなくぼみは、針を受け止めるためにある

指ぬきの小さなくぼみは、針を受け止めるためにある

指ぬきにある無数の小さなくぼみは飾りではなく、滑り止めの面だ。厚い布や重ねた布に針を押し込むとき、針の鈍い端はなめらかな金属の覆いの上を滑ってしまいかねない。そこで一つ一つのくぼみが針の頭を受け止め、力がまっすぐ突き通る間それを安定させる。金属職人たちは、こうしたくぼみを刻む細かく規則正しいローレット加工を、すでに14世紀までに完成させていた。
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