別の場所で冷やすことで、シリンダーを熱いまま保った 初期の機関は、作動シリンダーに冷水を直接吹き込んで熱を無駄にしており、ストロークのたびに金属を温め直さねばならなかった。1765年のワットの解決策は、常に冷たく保った別室で代わりに蒸気を凝縮させ、シリンダーをずっと熱いままにしておくことだった。この分離凝縮器を備えた機関は、同じ仕事に対して石炭を約三分の二も少なく燃やした。
回転する二つの真鍮の球が、最初の考える機械になった 重りのついた一対の球が蝶番付きの腕に取り付けられ、機関とともに回る。回転が速まると球は外へ振れ、蒸気弁を閉じるスリーブを押し上げるので、誰も見ていなくても機関はみずから減速する。1788年に蒸気機関へ応用されたこの遠心調速機は、初期の自動フィードバック制御だった。その安定性を解析した1868年のマクスウェルの論文は、現代制御理論の礎とされている。
最初の機関を押したのは蒸気ではなく、空気だった 1712年の最初の実用的な機関では、大気圧をわずかに上回るだけの蒸気がシリンダーを満たし、そこへ冷水を噴きつけて部分的な真空にした。そのからの空間へピストンを押し下げ、仕事をしたのは、1平方インチあたり約15ポンドの、ごくふつうの外の空気だった。蒸気は真空をつくっただけで、力を出したのは大気のほうだった。
安全弁は、骨を柔らかくする鍋の上で生まれた 1679年、高圧の蒸気で骨を柔らかくするために密閉した調理容器がつくられ、沸点を通常よりはるかに高くした。破裂を防ぐため、作り手は穴の上に重りのついた小さなレバーを取りつけた。圧力が上がりすぎると持ち上がって蒸気を逃がし、そのあとひとりでに元へ戻る。この重り付きのレバーこそが最初の安全弁であり、以来すべてのボイラーに付くものの祖先となった。
汽笛は、命を救う水位警報として生を受けた 列車を告げるより前、蒸気の汽笛は生き残るための装置だった。水が少なすぎるボイラーは過熱して爆発しかねないので、安全な水位の高さに管を据えた。水位がそれより下がると、蒸気が管を駆け上がり、汽笛を通して叫んで乗員に知らせる。このボイラーの低水位警報のほうが先で、鉄道や蒸気船がその音を取り入れたのは1830年代になってからだった。
1馬力とは、機関を売るために彼が選んだ数字だ 製粉所の持ち主たちに馬を機械へ替えさせるため、ある技師は自分の機関を動物と公平に比べる尺度を必要とした。力強い荷馬の働きを見たうえで、彼は1馬力を毎分33,000フィートポンドの仕事、つまりその数のポンドを1分で1フィート持ち上げる量と定めた。これは本物の馬が一日じゅう出し続けられる力よりおよそ50パーセント多く、この単位は名前の由来となった動物を買いかぶっているわけだ。
錨を鍛えた槌は、卵の殻をそっと割ることもできた 手槌では大きすぎる鉄を鍛えるため1839年に設計された蒸気ハンマーは、巨大な鉄塊をピストンで持ち上げ、蒸気で制御しながら落とした。巨大な鍛造品を打ち叩いたその同じ機械を、ごく繊細に加減すれば、ワイングラスの中の卵を、グラスを割らずに殻だけ割ることができた。初期の機械では落ちる鉄塊の重さは約2,500キログラムもあったが、それでも1インチのわずかな手前で止まった。
彼は周回する歯車で、競合相手の特許をかわした ピストンの上下運動を回転軸に変えるには、ふつうクランクが要るが、その特許は競合相手が握っていた。そこで1781年、代わりに迂回策が特許化された。連接棒に固定した歯車が、駆動軸のもう一つの歯車のまわりを、太陽を巡る惑星のように周回するのだ。これはクランクなしで回転動力を生み、同じ大きさの歯車を使えば、機関のひとストロークごとに軸は二回転した。